大阪いずみホール 情報誌「Jupiter」に掲載されたエッセイです。
 
my dear Amadeus モーツァルト・リレー・エッセイ5 最終回
歌劇『ドン・ジョヴァンニ』より ツェルリーナのアリア “ぶってよマゼット”
 
   かつてモーツァルトといえば、私にとっては殆ど器楽曲であった。
 ことに自分でも弾いたピアノ・ソナタや、伴奏をしたクラリネット協奏曲(ピアノ伴奏バージョン)などは、音楽としての完成度や好き嫌いを云々するより以前に、文句なく懐かしく愛しい。
 しかし現在の私にとって、モーツァルトはまったく声楽曲である。
 何といっても47歳という年齢で音楽大学の声楽家を受験しようという時に、試験の自由曲として今は亡き東敦子先生が選んでくださったのが歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の中のツェルリーナのアリア、“ぶってよマゼット”だったのだ。
 なかなかしたたかな小娘ツェルリーナがマゼットの機嫌をとるために駆使する様々な手練手管など、イタリア語の歌詞を覚えるだけで手一杯だった私には当然表現できよう筈もなく、何とか間違えずに歌えました、というレベルだったと思うのだが、それでも入試は期待以上の高得点を頂くことが出来た。
音大に入学してからも、音楽学や和声学の授業でも音楽史の授業でも、またもちろん実技の授業でも、モーツァルトは折に触れて登場するクラシック音楽の巨人であった。
 東先生は、プッチーニやマスカーニをお得意のレパートリーとしていらしたので、私たちもそういった歌を学ぶ機会が多かったのだが、それでも、ヴェリズモのオペラ・アリアの合間にはしばしばモーツァルトの勉強が課せられた。モーツァルトの声楽曲は大変器楽的に出来ていて、オペラ・アリアを歌うに際しての基本的な技術がほとんどといって良いほどに織り込まれており、そういう意味では、教科書的な難しさがあったといえる。
 はっきりいってモーツァルトを正確に上手く歌うというのは至難の業である。
 だからこそ、我々歌い手はいつになってもしばしばモーツァルトに立ち返るのである。
 
池田理代子
 
 
 
 
 
「銀座百点」に掲載されたエッセイです。
 
私のおススメの一品
清月堂本店  おとし文
 
   初めての日本舞踊の舞台は40歳のとき、国立劇場での『藤娘』だった。
 それこそこの世界のしきたりや約束事などなにもわからず、踊りの振りを覚えるだけでも手いっぱいだった私に、藤間藤太郎師が“まきもの”にと用意してくださったのが、清月堂本店の「おとし文」である。
 恥ずかしながらその歳まで、この銘菓のことを知らなかった。少女時代からわりにお菓子というものに執着しないできたせいもある。
 「おとし文とはなんですか」と師匠にお聞きするのもなんとなく恥ずかしくて機会を逸し、私は、この風雅でロマンチックな名前の“まきもの”なるものが届くのを胸の高鳴るような思いで待っていた。それが和菓子であるとわかったときの驚きもだが、試しにひとくち味わってみた瞬間の感動は今も忘れられない。
 卵黄をベースにしたあんの、まるで隠れ里のやんごとなき姫君のような慎ましやかで品のよい甘味は、食べても食べても果てしもなく後を引き、箱単位でいただけてしまうおいしさである。すっかりとりこになった私は、以後の舞台でも必ず「おとし文」と決めている。
 もちろんかなりの余りがでることをあらかじめ期待して、多めに注文するのである。
 
池田理代子